研究の概要
背景と課題
- 文化財をはじめとした地域の歴史資産も自然災害によって大きな被害を受ける。しかし、発災直後の人命救助や生活の復旧に向けた対応に追われ、文化財等の歴史資産の被災状況の把握には、時間がかかることもあり、ハード面での脆弱性を抱える歴史的建造物等は、復旧復興の過程の中で失われてしまう例が見られる。
- このため、地震災害によって被災した歴史的市街地の変容実態を明らかにすることは、他の歴史的市街地における事前復興や災害対策に役立つと考えられる。
- 関連研究としては、歴史的市街地における復旧・復興に関連するもの(小柳 健・川上 光彦(2011)、阿部 貴弘(2013))、被災による歴史的建造物の変容に関連するもの(駒井 悟・足立 裕司(1999))、本研究の対象地区(熊本市新町・古町地区)に関連するもの(福原 昌明(1976)、中林 雅二・西山 徳明(1998)、合屋 友理ら(2015)、江藤 佳ら(2017))がある。
- 本研究では、地震で被災した歴史的市街地における歴史資産の滅失による変容と被災後の町屋建築の復旧復興による変容の両面に着目して歴史的市街地の変容実態を明らかにする。
- 研究対象は、平成28年熊本地震で被災した熊本市新町・古町地区における町屋建築である。当地区では、町屋建築の保存や町屋建築の被災による滅失や滅失した町屋建築跡地の再生等の復旧・復興が行われており、発災から3年半程が経過した段階において土地利用や再生・活用等による被災前後の地区全体としての変容がみられることから対象地として選定している。
データ
- データ名称
A.「新町古町地区町屋プレ調査事業報告書」(2008)
B.「新町・古町地区における町屋建築悉皆調査データ」(2019)
C.「熊本市新町古町地区における町屋追跡調査」(2012)
D.「改訂版_新町古町調査【新町】【古町】」(2016)
- データ提供者
A: 熊本まちなみトラスト
B: 筆者(高橋佑太朗)
C, D: (株)人間都市研究所
- データ記録期間
A: 2008年
B: 2019年7月19~22日(追加調査10月)
C: 2012年8月27日〜9月7日
D: 2016年熊本地震直後の夏
- データ収録内容
A: 新町地区211棟と古町地区234棟の計445棟の町屋建築の所在が地図上に示され、それぞれの町屋建築ごとに写真、建物名称、用途、階数/構造、屋根材料/屋根材、外壁(正面)、開口部/装飾が記録されている
B: 同445棟の町屋建築の所在が地図上に示され、それぞれの町屋建築ごとに写真、残存状況、跡地利用・町屋の状況、建物階数、屋根形状、屋根材、向きが記録されている。
C, D: 同445棟の町屋建築の状況
分析
- 分析1: 町屋建築の変化
データセットAとBを比較して(1)町屋建築の残存状況を明らかにする。また、データセットBを用いて(2)町屋建築跡地の土地利用、(3)町屋建築跡地の駐車場種別および(4)町屋建築跡地の新築種別の4つを明らかにする。
(1)町屋建築の残存状況
→2008年には、445棟の町屋建築が確認されていた新町・古町地区では、熊本地震による被災によって 2019年7月時点で、残存する町屋建築が183棟にまで減少した。
(2)町屋建築跡地の土地利用
→滅失した町屋建築の跡地は、新築、駐車場、更地へと土地利用を変化させ、地区において歴史的風致を形成していた町屋建築の滅失は、町並みの変容をもたらした。
(3)町屋建築跡地の駐車場種別
→解体跡地は、更地になっているものも多く、駐車場とともに低未利用地として町並みの連続性を途絶えさせている。
(4)町屋建築跡地の新築種別
→連続する複数の町屋建築跡地を利用して大規模なマンションの建設が進められるなど、被災による町並みの変化とともにその地域の持つ機能までもが大きく変化してきている。
(5)分析1の結果、2008年調査時の町屋建築所在における2019年悉皆調査時の変化としては、図のように分類できる。
- 分析2: 分析1で明らかにした変化に基づき、(1)被災前後の町屋建築残存数変遷の違い、(2)被災前後の町屋建築立地による滅失及び再生への影響、(3)被災後の隣接した町屋建築の滅失、(4)地震前の改装による残存率への影響、(5)滅失時期による町屋建築跡地土地利用の違い、(6)町屋建築の間口の広さによる残存と滅失の違いの6つに歴史的市街地の変容に影響を与えている要因が見られると仮説を立て、それぞれ検証を行う。
(1)被災前後の町屋建築残存数変遷の違い
→2016年から2019年にかけての減少率は、46.8%と熊本地震前後で約半数の町屋建築が地区内から姿を消したことが明らかになった。
(2)被災前後の町屋建築立地による滅失及び再生への影響
→特に、被災後には、立地の良い場所における町屋建築の滅失が確認され、解体後の跡地において新築行為が行われるなど、地区の歴史的景観に大きな損失を与えている。
(3)被災後の隣接した町屋建築の滅失
→地震によって被害を受けることにより、隣接する町屋建築が一斉に解体されている。
(4)地震前の改装による残存率への影響
図2-4 外観変化の例
→被災よりも前に何らかの改装をしていた町屋建築の方が残存率が高いことが確認された。復旧復興過程においては、町並みにより調和した町屋建築となるような復旧工事も確認できる、地区への良い影響もみられた。
(5)滅失時期による町屋建築跡地土地利用の違い
→被災後の町屋建築滅失後の土地利用では、未利用地(更地)の割合が大部分を占めていることが確認された。
(6)町屋建築の間口の広さによる残存と滅失の違い
→地震前、被災後、残存それぞれの割合に差を見ることはできず、町屋建築の間口を建物の規模とした場合に、規模による町屋の滅失や残存の傾向を確認することはできなかった。
(7)仮設検証のまとめ
仮説を立て検証することで明らかにした町屋建築の変容実態は表のとおりまとめられる。
- 分析3: 町屋建築の復旧復興過程の分析
(1) 地区の復旧復興過程
図3-1には、中小企業等グループ施設等復旧整備補助金(グループ補助金)の手続きに係る時期と下段に公費解体の時期を示している。この期間には、歴史的建造物等への補助金は示されていなかったため、町屋建築等の所有者でグループ補助金の対象ではなかった場合には公費解体へと流れていった可能性が高い。こうした状況下において、2017年3月には、歴史的価値のある未指定の建造物の保全を目的とした補助金制度が県によって創設された。市でも、町並み復旧保存支援事業を2019年1月から始めている。歴史的建造物への支援を目的とした制度の創設は、被災から時間が経過してからであったため、被災後の復旧の比較的早期の段階においては、グループ補助金の制度によって町屋建築の保存が図られたケースが一部見られた。
(2)各町屋建築の復旧復興
【残存する町屋建築の事例:古町地区の町屋1】
被災から工事開始に至るまで、残したいと思い続け、協力する地区の町並み保存団体や同じ境遇の町屋所有者の存在もあり、復旧工事に至るまで時間は要したが外部支援や公的支援の存在がその後押しをしたといえる。地区では、支援の枠組みの公表までの期間が長かったことで、地震直後には残したい思いがあっても、その後押しがなかったことで解体された町屋も多くあるという。
【残存する町屋建築の事例: 古町地区の町屋2】
被災後に、現在の店舗オーナーと出会い、公的な支援を使うにあたっての所有者自身の要望と店舗オーナーの思いが一致し、被災後の復旧復興の活動の中で出会った人たちとの交流のなかで決意し、実現に至ったという。カフェのオープニングパーティーには、300人程の人が集まり、地区における復興の第1号のシンボルとして、オーナーの思いと使い手の思いの融合による新たな復興の形が見られた。
【残存する町屋建築の事例:古町地区の町屋3】
被災後には、解体することを決めていた中で、活用へと決意した要因には、復興 PJ によって催された全国各地の町屋活用の事例への視察を行なった報告会があるという。その視察報告会をきっかけに残したいという思いになり、解体することをもったいないと考え活用することに決めたという。
→いずれの町屋建築でも価値を認め活用したいという外部の存在があることから、それらとうまく結びつけることが今後の町屋建築の残存に繋がっていくと考えられる。
【町屋建築を解体した事例:新町地区】
被災の約5ヵ月後であっても、復旧復興過程における職人不足等の理由により、被災した町屋建築を解体する場合には、いつになるかわからないと言われていた。その中で、地区の復旧復興のためにも、いち早く事業を再開したいと決めていた主人は、グループ補助金の補助を使い、町屋建築の解体と新店舗を新築した。地区にとって、復旧復興をいち早く感じられる事例となった。
【町屋建築を解体した事例:古町地区】
被災後、事業を継続するか悩んだ時期もあったというが、後継の存在が、事業継続を後押ししたという。被災から約10ヵ月後には、敷地内に仮店舗を構え営業を再開し、お客さんに大変喜ばれたという。町屋建築の解体は、被災から1年以上が経過してから、他県からやってきた職人によって工事が行われた。被災から3年後、新築店舗での営業が開始された。
→早期に示されたグループ補助金制度は、公費解体とともにスムーズな復旧復興を促進するために、適切な時期に示された制度であったと評価することができる。一方、復旧復興過程における工事を行う職人不足の問題を解消することが、早期の復旧に必要不可欠であると言える。
成果
本研究より得られた復旧復興過程における歴史的市街地の変容実態から、歴史的市街地の復旧復興に有効な施策を検討する上で留意すべき事項を以下の4つにまとめる。
- 地震そのものの外力に耐えるための対策が必要である。本研究では、地震前に、改装などを行い、外観の変化が見られる町屋建築については残存率が高かったことから、平時より町屋建築に対するメンテナンスを行っておくことが、災害による被害を抑え、町屋建築が後世に受け継がれていくことにつながると考えられる。
- 残存する町屋建築のおかれている環境や状況を所有者以外が把握しておく必要がある。本研究の中では、被災後にできたヨコのつながりによって相談できる相手が見つかった様子や結束力の高まりなどが見られたため、平時より所有者同士でつながりを持つことができる仕組みづくりによってその環境や状況を所有者以外が把握する必要がある。
- 復旧復興の段階に応じた制度の必要性と重要性が挙げられる。本研究で対象とした熊本地震においては、もし、解体と保存の2つ公的支援の選択肢が早期に示されていたらと悔やまれる。所有者の話の中でも、最終的には支援があることで決断をしたとの声も聞かれ、公的支援によるタテの支援が的確に示されることが重要である。
- 所有者の意思の重要性が挙げられる。平時より所有者に対する情報提供や地域への理解を深め、復旧復興過程においては、その意思に寄り添い支援するための仕組みが歴史的建造物の保存につながり、自然災害による被災から歴史的市街地の町並みを護ることになるといえる。
レファレンス
- 小柳 健 、川上 光彦、震災を受けた歴史的市街地における住宅再建実態と町並み保存に向けた合意形成過程-能登半島地震による輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区の事例研究-、日本建築学会論文集第76巻第659号、91-99、2011.01
- 阿部 貴弘、災害時における歴史的市街地の復旧プロセスに関する基礎的研究-過去の自然災害及び東日本大震災における歴史的市街地の復旧事例分析から-、日本都市計画学会都市計画論文集Vol.48 No.3、2013.10
- 駒井 悟、足立 裕司、阪神・淡路大震災後における歴史的建造物の保存・建て替えに関する研究、日本建築学会近畿支部研究報告集、965-968、1999
- 福原 昌明、熊本市の町屋について-その都市的背景-、日本建築学会九州支部研究報告第22号309-312、1976.02
- 中林 雅二、西山 徳明、歴史的市街地における景観特性の把握に関する研究〜熊本市旧市街地古町・新町地区を事例として〜、日本建築学会九州支部研究報告第37号165-168、1998.03
- 合屋 友理、位寄 和久、本間 里見、内田 䀚希、持留 将志、熊本市古町地区を事例としたまち並みの印象評価による修景手法に関する研究、に本家地区学会九州支部研究報告第54号497-500、2015.03
- 江藤 佳、位寄 和久、本間 里見、佐々木 翔多、震災復興に向けた町家の保存及び活用に関する研究-熊本市新町古町地区を事例として-、日本建築学会九州支部研究報告第56号225-228、2017.03
この記事は、下記の論文を要約したものです
髙橋 佑太朗(2019)被災した歴史的市街地の変容実態—熊本市新町・古町地区の町屋建築に着目して—、2019年度 筑波大学 大学院 博士課程 システム情報工学研究科 修士論文
後記
- 個人の所有物である町屋建築及び被災した歴史的市街地を対象としたため、悉皆調査や所有者へのヒアリング調査等のフィールドワークを進める中で、十分な情報が集まるか不安になる時もありましたが、住民の方々に調査協力をしていただけたことで情報を集めることができました。
- 地元のまちづくりに関わる関係者や地区内の飲食店店主に、町屋建築の情報や町屋建築所有者を紹介いただくなど、研究を通じて地区の方々との交流ができたので、今後も、研究対象地に足を運び続けたいと思います。
- 研究含めつくばでの大学院時代はフィールドワークを多く経験させていただけたのでその中でも思い出深い、茅刈りの時の写真です。(社会工学ワークショップ科目での茅刈り@高エネルギー加速器研究機構・茅場)