研究の概要
背景と課題
日本では、脳死ドナーから提供された臓器は臓器移植ネットワークを通じて移植希望者へ割り当てられる。脳死肺移植には片肺移植と両肺移植の2形式があり、移植希望者は希望を事前にネットワークに登録しておく。2019年末時点で肺移植の待機患者数は392名である一方、2020年の脳死肺移植手術は58件に留まる。
これまで、慢性的な脳死ドナー不足に対応するため、2人の生体ドナーからの寄付で移植片をまかなう生体肺移植や、1人の生体ドナーと脳死ドナーからの片肺の寄付によって移植片をまかなうハイブリッド移植などの術式が開発されてきた。
しかしながら、移植における制約に適合性があり、血液型、組織型やサイズなどの条件が合わないと移植できない(本稿では、適合性条件は血液型のみで定義されると単純化する)。そのため、十分な人数のドナー(患者の近親者)を見つけても、適合性条件が満たされないために手術を断念することがある。
この問題への対処法として、ドナー交換が提案されている。例えば、それぞれ2名の生体ドナーを伴う2名の患者がいるとき、適合性の制約ゆえに自身のドナーからの生体肺移植は行えなかったとしても、もし両者のドナーを交換できれば、移植の可能性が生まれる。
肺ドナー配分市場
患者がドナー交換による臓器の配分を求めて参加する市場を肺ドナー配分市場という。患者はそれぞれ0名以上の生体ドナーを伴い、市場には脳死ドナーも1名いるとする。患者は、生体ドナーと脳死ドナーから提供される移植片を用いて移植手術を受けられるが、必ずしも十分な移植片が市場にあるとは限らない。
図1は、5名の患者(患者1~5)がそれぞれ生体ドナーを伴って参加する市場を表す。各ボックスは、各患者とその生体ドナーから成るグループを表し、内部の左側と右側に書かれた文字はそれぞれ患者と生体ドナーの血液型を表す。患者番号は脳死肺を受け取る優先順位を表す。
また、各患者は術式上に選好を持ち、記号20, 10, 11, 02, 00がそれぞれ脳死両肺移植、脳死片肺移植、ハイブリッド移植、生体肺移植、手術なしの五つの術式を表す。
1名の脳死ドナーをdcという記号で表す。脳死ドナーは2単位の肺(左肺と右肺)を市場に提供し、片肺を①と表す。記号dcの右に書いてあるBは脳死ドナーdcの血液型である。
図中における矢印は、矢印の根元に書かれたドナーが矢印の先に書かれた患者に1単位の移植片を提供することを表す。誰にどの手術が割り当てられているかを記述したリストを配分と呼ぶ。
メカニズム
肺ドナー配分市場において、各患者の希望登録(選好プロファイル)に対して一つの配分を対応させる関数 はメカニズムと呼ばれる。本研究の目的は、ドナー交換による臓器の配分を適切に行うために、以下の四つの望ましい性質を満たすメカニズムを設計することである。
①配分a = (a1, …, an) が提出された希望登録に対して個人合理的であるとは、どの患者にとっても割り当てが手術なしと同等かそれ以上に望ましい手術となっていることを言う。
②配分aが提出された希望登録に対してパレート効率的であるとは、ある患者の術式を配分aから改悪しないことには、他の患者の術式を改善する配分が存在しない状態であることを言う。
③配分aが、提出された希望登録R = (R1, …, Rn) に対して公平であるとは、どの患者iも配分aにおいて希望登録Riに照らし誰にも羨望しない(他人への脳死肺の分配を羨ましく思わない)状況を言う。
④虚偽の選好表明があると上記三つの性質が失われる可能性がある。これを避けるには、他の患者の表明にかかわらず真の選好を表明することが最適となるようにすれば良い。この性質を耐戦略性と言う。
提案手法
本研究は優先順位メカニズムを推奨する。これは、個人合理的な配分の中から、脳死肺を受け取る優先順位が高い患者から順に好きな配分を選んでいき、最後に残った配分をメカニズムの値とする、というものである。
3名の患者から成る市場で説明する(図2)。は希望登録Rに対して個人合理的な配分の集合を表す。
ステップ1. に含まれる配分の中で、患者1自身の割り当てが最も好ましい配分を全て選んで、その集合をとする。例では、図3の配分a, b, cは全て患者1の第1希望を満たしているので、これらの配分が全てに含まれる。
ステップ2. の中で、患者2自身の割り当てが最も好ましい配分を全て選んで、その集合をとする。例では、図3の配分b, cは共に患者2の第1希望を満たしているので、これらの配分がに含まれる。
ステップ3. の中で、患者3自身の割り当てが最も好ましい配分を全て選んで、その集合をとする。例では、図3の配分cは患者3の第1希望を満たしているので、配分cはに含まれる。
に含まれる配分から任意の一つを選び、メカニズムの値とする。
評価
ドナー交換が許容されないケースでは、優先順位メカニズムは四つの望ましい性質を全て満たす。現在の日本はドナー交換が許容されておらず、現行の日本式配分メカニズムは個人合理性とパレート効率性のみを満たすため、優先順位メカニズムの実装により改善することができる。
一方、ドナー交換が許容されるケースでは、四つの望ましい性質を全て満たすメカニズムは存在しないことがわかっており、優先順位メカニズムは四つのうち耐戦略性だけを満たさないことを証明できる。したがって、優先順位メカニズムは「可能な範囲内でベスト」なものの一つである。
それでは、優先順位メカニズムの耐戦略性の欠如は、致命的な欠陥なのだろうか?
優先順位メカニズムにおいて、虚偽登録によって術式を改善できるときには必ず、その虚偽登録が「実際には受け入れ可能な術式を受け入れ不可能であると偽る形式」となり、そのとき、他患者の状況によっては、正直に登録をしていれば手術を受けられたにも関わらず、虚偽登録をしたばかりに手術なしという結果に終わる可能性が必ず存在する。
すなわち、ドナー交換が許容される場合においても優先順位メカニズムの元で戦略的行動をとることは得策ではない。したがって、優先順位メカニズムは一定のインセンティブ両立性を維持していると言える。
成果と提案
本研究では、肺移植市場において脳死ドナーからの寄付を受ける優先順位に基づいて配分を決定する優先順位メカニズムが、配分(メカニズム)の様々な望ましい性質から支持されることを示した。
下記も参照ください。