研究の概要
背景と課題
近年、首都圏における中学受験者数は緩やかに増加しており、小学6年生の生徒数が減少していたにも関わらず、中学受験者数が小学校6年生の生徒数に占める割合は約16%まで上昇しており、中学受験への注目が高まっている。
そういった中学受験を行う児童は遠方の中学校に通うこともあり、通学時間は長くなる傾向にあることが受験雑誌等で述べられている。保護者が志望校を選ぶ際に重視することについてのアンケートでは、1位の大学合格実績に次いで通学の交通の便を重要視していると約7割の保護者が回答している。
そこで、本研究では、鉄道や道路の新規開通した際に、その鉄道付近に位置する学校の受験倍率に与える影響について定量的に分析することで、交通アクセシビリティの変化が中学受験での学校選択に与える影響について明らかにする。
鉄道の新規開通では沿線に立地する中学の志願者数が増える事例もあることから、鉄道や道路の新規開通によって交通アクセシビリティが変化し、利便性が向上することで開通路線、または道路付近における学校の受験倍率が増加するという仮説のもとで実証研究を行う。
国内の事例を用いた研究では交通網の発達による通学圏の拡大が学校選択に与える影響について定量的な評価を行った研究は未だなされていない。
データ分析
本研究にて分析の対象とする学校は交通網が充分に整備され受験競争が激しいこと、また、過去のデータが入手可能である、という二点の理由から首都圏1都6県(東京・千葉・埼玉・神奈川・茨城・栃木・群馬)に位置する学校とする。そのなかでも、通学範囲の制限のない私立中学校を分析の対象とする(図1)。
分析する学校の選定にあたって、新規交通網の開通による倍率の変化を見るという本研究の目的にそぐわないため、鉄道や道路の新規開通後に新設や移設された学校は除外する。また中学の募集を停止していた期間がある学校についても除外する。
本分析にて取り扱う交通網は多摩都市モノレール、埼玉高速鉄道、つくばエクスプレス、日暮里舎人ライナーの鉄道4路線と東京湾アクアラインの道路1路線である。それぞれについて、開業した際に私立中学受験の受験倍率に与える影響について推定する。ここでいう受験倍率とは「実際に試験を受験した人数/合格者数」のことであり、受験者数には志願をしたが受験しなかった学生の人数は含まれない。
本研究では分析を進めるにあたって学校パネルデータのデータセット作成を行う。分析の対象とする学校は1995年から2019年までのデータが入手可能であった209校を対象としている。
作成にあたっては晶文社学校案内編集部にて毎年発刊されている首都圏中学受験案内を用いて、1995年から2019年の各学校の受験者数、合格者数、授業料(入学金、初年度の施設費、授業料、その他費用の合計)、各試験の日程、偏差値、男子校女子校や共学といった学校の属性データを収集した。
また、それぞれの学校のホームページから最寄り駅、最寄り駅に乗り入れしている路線のデータを収集した。
分析手法
本研究ではパネルデータが利用可能であるため、DID法(差分の差分法)を用いて分析を行う。DID法を用いることで、鉄道や道路が開通した影響以外の人口や中学受験のトレンド等といった観測不可能な要因を除去することが可能となる。
分析を進めるにあたって、鉄道や道路の開業の影響を受ける処置群と開業の影響を受けない対照群に分類する必要がある。そこで、最寄り駅が開業した路線である学校、または最寄り駅が開業路線に乗り換えで接続している路線かつ分析対象の路線からの所要時間が30分以内である学校を処置群、それ以外の学校を対照群としてそれぞれの鉄道、道路について分類する。
また、東京湾アクアラインについては1997年に開通してからすぐに運行を開始した高速バス路線は主に川崎―木更津間を結ぶ路線が多いことから、本分析では川崎駅に乗り入れている南武線、京浜東北線、東海道線と木更津駅に乗り入れている内房線で川崎・木更津のいずれかの駅からの所要時間が30分以内である駅が最寄り駅である学校を処置群、それ以外の学校を対象群として分類する。最寄り駅については、都内のように鉄道駅が多く、最寄り駅が複数ある学校については学校から距離が短い順番に最大3駅まで設定した。
またスクールバスを運行している郊外の学校については最寄り駅の数に制限を設けず、スクールバスが通っている全ての駅を最寄り駅として設定した。
DID分析を用いて、被説明変数に受験倍率を設定し、説明変数に交通ダミーと年ダミーの交差項を入れることで交通網の新規開通が受験倍率に与えている影響について定量的に評価する。
評価・実証
日暮里舎人ライナーとつくばエクスプレスの2路線のみ、受験倍率について正の数値で1%有意な結果が得られ、鉄道の開通が沿線付近の学校の志願倍率を上げたことが分かった。また、受験者数についても同様に正の方向で1%有意な結果が得られ、鉄道の開業によって交通の便が良くなることで、沿線付近の学校を選択する学生が増加したことが考えられる。
一方、多摩都市モノレールと埼玉高速鉄道は受験倍率について有意な結果は得られなかった。
多摩都市モノレールは鉄道網が東西方向にしかない多摩地域において南北方向に横断する有効的な交通手段であるが、一方で利用者からは「距離の割に値段が高い」ことや「通学定期代をもっと引き下げてほしい」といった要望が出ている。今回の分析で有意な結果が得られなかった原因の一つとして多摩都市モノレールは料金設定が高く、中学への通学手段として選択されにくいことが考えられる。
また、偏差値についてはどちらも負の方向で有意な結果となっている。このことから、埼玉高速鉄道の開通前は沿線付近の学校を選択していた学生が、開通によって他地域の学校へのアクセスが容易になり、学力の高い学生が他の地域の学校を選択するようになり、結果として沿線付近における学校の偏差値が下がったことなどが要因の一つとして考えられる。
東京湾アクアラインは、開通によりアクアライン付近の志願倍率が上がっていることが分かった。また、偏差値を被説明変数に設定した分析結果では正の数値で有意な結果が得られた。このことから、アクアラインの開通により木更津・川崎付近の志願倍率が上昇し、競争の激化に伴い偏差値も上昇したと考える。
成果と提案
本研究では、交通アクセシビリティの変化が中学受験における学校選択にどのような影響を与えたかを明らかにすることを目的として、データが入手可能な首都圏の私立中学を対象に研究を行った。
データセット作成のために、晶文社学校案内編集部にて毎年発刊されている首都圏中学受験案内を用いて受験者数や合格者数、試験日程、学校属性情報などのデータを収集した。
25年のうちに開通した鉄道4路線と東京湾アクアラインのそれぞれの交通網について開通前後における沿線付近の学校の受験倍率の変化を観測するため、DID法を用いて分析を行い、それぞれの交通網の開業が沿線付近の受験倍率に与える影響を明らかにした。
分析の結果、つくばエクスプレス、日暮里舎人ライナー、東京湾アクアラインについては鉄道や道路の開通が受験倍率を上昇させていることが示された。
しかしながら、その他の交通網について有意な結果は得られず、通学定期が高値であることや沿線付近の学校の環境によって、必ずしも交通網の開通によって受験倍率は上がらないことが明らかになった。
この記事は、下記の論文を要約したものです
馬場 優樹(2020)交通アクセシビリティの変化が中学受験に与える影響、2019年度筑波大学理工学群社会工学類卒業論文。
後記
- 中学受験倍率の変化は様々な要因が含まれますが、新線開通の影響のみを推定したかったため、新線開通の影響が大きいと考えられる学校と小さい学校で分類し、開通前後を比較するDIDを用いて分析しました
- 使用したデータは全て紙ベースのデータであったため、国会図書館に通い手作業で入力を行い、学校ごとに受験倍率や偏差値,試験日などが含まれたパネルデータを作成しました