【2023年度6班】つくばふしぎ発見-田園都市つくば~竹園と倉掛の間~

演習/連携
2024-06-01

背景

私たちは研究学園都市として計画された、つくば市の歴史を調査しました。研究学園都市は、東京等にある国の研究機関等を計画的に移転し、高水準の研究と教育を行うための拠点づくりを目的に建設されました。また、移転による首都圏の過密緩和も目的の1つです。研究学園都市として計画された市街地面積は2700ha程度で、その周辺の地域とともに自然を生かした田園都市としての発展を目指しました。

1995年のつくば市の地図(筆者が竹園と倉掛の部分を蛍光色で示した)(参照:日本地図センター)

10月某日に竹園と倉掛に現地調査に行きました。位置関係は上の地図を参照してください。竹園は近隣住区論に基づいて、学校や住宅が非常に整備されていました。一方、竹園と倉掛の境目の部分で道路が曲がりくねり、そこを抜けると田園風景が広がっていました。この景色の移り変わりに私たちは興味を持ち、地図を見てみることにしました。そこから判明したことは、筑波研究学園都市計画で大きな変化を遂げた地区がある一方で、原形を保ったまま今も姿を残す地区があったことです。
本演習では竹園と倉掛の2地区に焦点を絞りました。私たちの研究動機は2つあり、1つ目は、2つの地区がそれぞれどのような形成過程を辿ったのかということ、そして2つ目は、研究学園都市が目指した田園都市像とはいかなるものだったのかということです。 

目的

本研究の目的は、竹園と倉掛の形成過程について明らかにし、筑波研究学園都市が目指した「田園都市像」を探ることです。また、研究学園都市が成立する以前と後での生活を比較することにより、筑波研究学園都市成立がもたらした住民への影響や変貌を明らかにします。

データ

私たちは研究学園都市の歴史を調べるために、文献調査、年代別の地図分析、フィールドワーク、ヒアリングを行いました。文献調査や地図分析は以下の資料などを用いました。またこれらに加えて、当時の住民の様子を詳しく知るために、「長ぐつと星空」という研究学園都市の住民の声をもとにした書籍から学園都市の実態を調べました。フィールドワークでは、研究学園都市と同時に形成された竹園とそれ以前からある倉掛の違いを自分たちの目で見て感じ取ることで、地図や文献を見ただけでは分からないような細かな点まで知ることができました。

文献調査と地図分析に用いた資料の一部
フィールドワークの様子(写真左:竹園 右:倉掛)

ヒアリングに関しては、慶應義塾大学名誉教授の塚越功様に倉掛の新住民としてのお話を伺い、下邑家住宅の下邑様に既存建築の活用に関するお話を伺いました。ご協力ありがとうございました。

分析

地区の変遷

竹園と倉掛は桜地区、旧桜村に属していました。年代別の地図の比較や文献資料より、竹園は1960年頃から急速に発展したことがわかりました。一方で倉掛は研究学園都市建設の影響をそれほど受けていませんでした。「桜村総合計画」掲載の計画図を見ると、竹園(3丁目)は研究学園区域内であるのに対して、倉掛は区域外であったことが分かりました。

土地基盤整備開発計画図(参照:桜村総合計画)

桜村総合計画には、倉掛のように区域外になっていた既存の集落を緑住開発地域とし、都市部と農村部をつなぐ役割を求めていることが記されていました。また、研究学園都市周辺の倉掛のような既存の集落の多くは区域から外れていました。これは金銭的に土地を買収するのが難しいこと、そして研究学園都市の都市部と周辺の農村との一体となった開発を行うための歯車としての役割があるからであると思われます。

田園都市との関連

研究学園都市建設法では、学園都市を「均衡のとれた田園都市」として整備することを明言しています。田園都市と聞いてハワードの田園都市論を思い浮かべました。これは、都市と田舎それぞれの良い部分を持ち合わせた「TOWN COUNTRY」の実現を目指すものでした。

ハワードの田園都市の挿絵(左:3つの磁石 右:田園都市の全体像)
(参照:https://imp.or.jp/wp-content/uploads/2021/11/special-2.pdf)

また、文献調査から竹園は市街化区域、倉掛は市街化調整区域に分類されていることが分かりました。市街化調整区域は「市街化を抑制することを基本とし、自然環境の保全に努めるとともに農業の振興を図る」(第二次桜村総合計画:p66)ことが求められています。加えて、倉掛は緑住開発地域にも分類されていました。そのため、倉掛は都市と農村両方をつなぎ、田園都市を実現する役割を持っていると言えるのではないでしょうか。

周辺地域への影響

土浦にあった西武は1960年代から多くの住民に利用されてきており定住環境の調査から、当時の倉掛住民にも利用されていたことがわかります。また、同じ研究から日用品や生鮮食品の多くは竹園ショッピングセンターにあったスーパーを利用していたことがわかります。 これらの商業施設は研究学園都市の設立に伴ってつくばにできた西武・ジャスコとの業界競争に負けて撤退してしまいます。ヒアリング調査の中には竹園ショッピングセンターのスーパーがなくなってしまったことに対する不満の声が上がっていました。

人々の暮らし

当時倉掛にお住まいだった塚越様のお話によると、学園都市に主要道路が建設されるまでは、荒川沖にあるお醤油屋さんまで行って車を停めて、そこから常磐線に乗って東京に通勤していたとのことでした。主要道路の建設がある程度進んだ1977年の竹園地区では、道路が住宅地を分断していました。そこで、歩行者専用道路としてペデストリアンが設置されました。

また、当時の倉掛では選挙で選ばれた区長には旧住民側が多かったそうです。新住民の多くは、旧住民と関わる機会や自治会に参加する余裕がなかったとのことでした。

暮らしにくかった研究学園都市

「長ぐつと星空」という書籍を通じて、筑波研究学園都市黎明期の住民の視点で見た実情から、つくばでの暮らしにくさが更にうかがえました。例えば、食料や日用品などの買い出し、病院までの距離、ごみ処理問題など山積みの課題がありました。
また、地域の食料品店そもそもの数が少なく車を持たない店主の厚意として自転車での配達を行い住民の生活を支えていたほか、出産や子育ての面での問題に加え、交通の便が悪かったことも住民にとって深刻な問題だったと言えます。救急車を呼ぶにも役場に連絡し、役場が土浦に頼まねばならないといった声が住民から上がっていたことが同書籍から明らかになりました。

竹園と倉掛の今後

2023年時点では県内地価ランキング1位を記録するなど、市街化区域である竹園は大きな発展を遂げています。しかし、竹園のような市街化区域ではなく、それ以外の市街化調整区域では地価が軒並み下がっています。一方で、市街化調整区域である倉掛は例外的に地価の下落は見られませんでした。原因は、竹園の発展の煽りと市街化調整区域の経済的な凋落の煽りを相殺しているからではないかと考えられます。
しかし、現地視察やヒアリング調査からは、倉掛の明らかな「市街化」の兆候が見られました。ヒアリングでは、緑地として保全すべき場所にまで宅地化が進んでいることをお聞きました。このまま市街化してしまえば、田園都市としての要である緑地が失われてしまう恐れがあります。

倉掛で進む宅地化(現地で撮影)

結果

私たちは筑波研究学園都市設立による竹園と倉掛の変化の違いをもとに、2地区それぞれの形成過程と研究学園都市が目指した田園都市像を探ることを目的として調査を行いました。
調査の結果、筑波研究学園都市が目指した田園都市像は都市と農村が融合したものであったことが明らかになりました。また、研究学園都市は移り変わりが激しく、住民側がその変化に対応してきたという歴史があり、都市が住みやすい形になるまで新旧住民のどちらも苦労してきたことが分かりました。現在のつくばは市街化が進んできており、田園都市としての機能が失われつつあります。今後は緑地を保全し、持続可能なまちづくりを進める必要があると思います。

提案

ここで、私たちがフィールドワークの際に伺った下邑家住宅が行っている、古民家を活用した取り組みを参考にして新たな事業を考えました。下邑家住宅では、年に数回邑マルシェというイベントを開催しており、キッチンカーや雑貨店などが集まりマルシェという形で出店しています。

邑マルシェの様子(参照:https://www.instagram.com/p/C0rCschS9JL/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==)

そこで、市民緑地認定制度を利用し、倉掛の緑地を活用した倉掛フリーマーケット(以後「倉掛フリマ」)を提案します。市民緑地認定制度とは、民間主体が空き地等を利用して地域住民の活動の場となる緑地空間の創出を支援する制度です。
倉掛フリマでは、倉掛にある飲食店に出店してもらうほか、地域住民のみならず周辺地域に住む人も参加できるようにします。倉掛フリマの開催により、地元の事業者の支援、緑地の活用と保全、そして新旧住民の交流の場を生み出して地域コミュニティの結束を高めることなどのメリットをもたらし、地域全体の持続的な発展に寄与することが期待できると考えます。

後記

今回の演習を通して私たちが学んだことはとにかく手を動かしてみるということです。テーマ決めや実際に演習を進めていく中で手詰まりになってしまうことが何度もあると思います。そんな時ただひたすら頭の中で考えるのではなく何か作業を行うことで思いつくこともあるということを学びました。私たちの班のような歴史に関する研究であれば図書館に行って関連する資料を検索してみたり、実際に現地に行ってみたりと行動を起こすことが重要であると感じました。また、本演習に関しては時間が思ったよりないので早めに行動したほうが良いと思います。

レファレンス

[1]科学技術庁計画局 編(1975).『筑波研究学園都市,昭和50年』
[2] 久保田治夫(1981).『筑波研究学園都市:頭脳都市の周辺学』
[3] 茨城県 住宅都市整備公団 財団法人都市計画協会 編(1988).『つくば-二十一世紀への挑戦-つくばシンポジウム’88記録集』
[4] 筑波研究学園都市の生活を記録する会 編(1981).『長ぐつと星空 -筑波研究学園都市の十年- 第一部』[5] 筑波研究学園都市の生活を記録する会 編(1981).『長ぐつと星空 -筑波研究学園都市の十年- 第二部』[6] 筑波研究学園都市の生活を記録する会 編(1981).『長ぐつと星空 -筑波研究学園都市の十年- 第三部』[7] 日本地図センター(1996).『地図で見るつくば市の変遷』
[8] 小島重次(1982).『筑波研究学園都市における定住過程に関する研究』
[9] 茨城県新治郡桜村(1982).『第二次桜村総合計画』
[10] 財団法人つくば都市交通センター (1998). 『21世紀に向かっての”つくば”を考える-産・官・学・民「共生」への課題と展望 -』
[11] 東京新聞(2023)『茨城県公示地価 つくば市竹園 1位続く 高まる土地需要、下落から31年ぶり』.https://www.tokyo-np.co.jp/article/239617
[12] 土地価格相場がわかる土地代データ(不明).https://tochidai.info/ibaraki/tsukuba/
[13] 茨城県土地価格ドットコム(不明).https://www.tochi-d.com/tochi/08/08220/082200084/
[14] 日経BP総合研究所(2018). 『第3回 まちの緑の魅力をアップ、都市緑地法を活用した公民連携』.https://project.nikkeibp.co.jp/atclppp/PPP/032300072/060300003/?P=2
[15]ハワードの田園都市-大都市政策研究機構.https://imp.or.jp/wp-content/uploads/2021/11/special-2.pdf